もう卒業シーズン。気づけば高校卒業してからもうすぐ10年になろうとしています。
大人になると高校の思い出は学生生活の中でも色濃く残っているものではないでしょうか?家族で学生時代の話をすると真っ先に高校時代の話になります。
題にも書きましたが18歳の頃の私は
薬剤師になりたいなど頭の片隅にもありませんでした
元々私は小学2年生からずっと野球を続けており、高校でも野球部で毎日白球を追いかけていました。朝は5時半に起床、帰ってくるのは22時以降。そんな生活をよくも続けられていたなと今では思います。
そんな厳しい生活の中、私は元々怪我が多くスポーツ外傷に強い整形外科の先生にお世話になる機会が多くありました。体の弱い部分を指摘され、ストレッチやケアの仕方を教えてもらった私の体はみるみる良くなっていったことに感銘を受けた私は
理学療法士という医療の道に興味を持ち始めました
ただ野球は頑張っていましたが、勉強の方は部活の忙しさを理由にめちゃめちゃサボっていました
中学生まで勉強をやれと口うるさく言っていた母も
「勉強をやれなんてとても言える状態ではなかった」
と諦めるくらい部活が過酷だったんです(´;ω;`)
そんな生活をしていれば皆さんもわかるでしょう。
成績なんて良い訳ないです(笑)
勉強なんてほとんどしてこなかった私も高校3年の進路面談を迎え
「浪人しなきゃ大学は厳しいだろうな」と思っていたところ人生の分岐が急に現れました。
当時の担任から
「医療系に興味あるなら薬学部に行ったらどうだ??」
いやいや先生、私全然成績良くないですし現役で行けるわけないじゃないですか。どうやって行くんですか。
「指定校あるぞ」
当時は頭の中に「????」しか浮かばなかったですね。
成績が悪いし評定なんて全く達していないと思っていた私がギリギリ指定校を使えるラインにいたそうです。
本当に運が良かったとしか言えない奇跡がいくつもありました。
1.テスト勉強だけ頑張っていた
テスト前は学校からのお達しで部活が禁止されるんですが
この期間は母が強気になるんです
部活ないよね?勉強できるよね?と。
思春期なのにちゃんと言うこと聞いてた自分も偉いなと思いますが、数日で必死に詰め込んで毎回平均点よりは少し上回るくらいの点数が取れていたんです。
2.野球部の顧問が苦手な古典の授業の担当になる
古典が苦手だった私は赤点でもいいやと全然勉強しないタイプだったんですが、高校3年になったタイミングで
野球部の鬼顧問が古典の担当になりました(´;ω;`)
何かあると野球部に質問が飛ぶので予習していかないとついていけないため部活後に毎回必死に予習していました。
このおかげで苦手な古典の成績が倍くらいになりました。
この古典の成績が上がっていなかったら
指定校の評定はギリギリ足りなかったそうです
3.薬学部の指定校を使おうとしていた人が辞退した
成績がいい人から順番に行きたい大学の指定校を選べるのですが、どうやら私より成績がいい人が私の進学する薬学部の指定校にしようか迷っていたそうなんですね。その方が別の薬学部を選んでくれたので私に話が回ってきたということだったようです。私は他の薬学部は評定足りなかったので助かりましたね☺
以上の奇跡があったわけですが
理学療法士どうしたの??
って感じた方も多いかと思います。
当時の自分は「浪人しなくて医療系に行けるならアリだな✨」と感じてしまったので急ハンドルを切りました。
人生どんなところで転機やチャンスが訪れるかわかりません。それをつかむためには普段の何気ない日々の過ごし方が実は重要なんだと感じた高校時代でございました。
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